伊予高日誌

思いやり、助け合いの心

2020年4月16日 12時00分

 「今日も手に入らなかった…。」毎週休日になると、朝早く薬局の前に長く続く行列に並ぶのですが、マスクが手に入りません。困ったなあ、子どもが着けるマスクがない…と気が沈んでいたところ、次のような新聞投書を読みました。

 

 「 マスク不足 子の涙のわけは…

   私が帰宅すると、小3の三男の様子がおかしい。6人家族の我が家では私以外が花粉症で、マスク不足は深刻な問題。休校で時間のある彼が近所の薬局に並んでくれました。聞くと、入荷なしの日が続く中、30枚入りが6袋あったそうです。

   話し始めた途端、感極まり泣き出したため、また理不尽な目にあったのかと私は勘繰りました。(中略)しかしそれは見当違いでした。運良く最後の1袋を手にすることが出来た。それなのに後ろに並んでいた同学年ぐらいの男の子の残念がる悲しそうな顔が目に入り、胸が痛み、譲ってあげたのだそうです。手に入れられたはずの貴重なマスクを家族のもとに届けられなかった自責の念にかられ、肩を震わせて泣いたのです。

   驚きとともに、それは何ものにも代えがたい心うれしい告白でした。果たして私ならどうしただろうか。「半分ずつ買いませんか、と話しかけるかな」とは妻の談。「うばい合えば足らぬ

 分け合えばあまる」相田みつをさんの言葉が身に染みる今日この頃。早く元気になーれ。

                        (令和2年4月5日付け朝日新聞から)  」

 

 私はこの記事を読んで、いい話だな、いい家庭だなと、楽しくなりました。マスクが手に入らないことで沈んでいた気持ちが明るくなりました。そうだ、自分のことだけを考えて落ち込むのではなく、周りの人のこと、困っている人のことを考える余裕を持たなくちゃ、と考え直しました。

 みなさんも、このことを考えてみてください。「○○ファースト」という考え方は、人々を「自分、自分たち」と「彼、彼女、彼ら」とに区別し、彼(彼女、彼ら)がどうなろうと、自分(自分たち)さえよければ、という考えにつながります。このような考え方で、本当により良い社会を築いていけるのでしょうか。自分がいつの間にか、彼(彼女、彼ら)にされてしまう恐ろしさを考えてみましょう。

 新型コロナウイルスの感染防止のためにも、地域社会を構成している私たち一人ひとりが、思いやりや助け合いの心を発揮していきたいものです。